湯野浜ヒューマノームラボ 第3回:100年続くヴィンテージ・ソサエティをめざして【後編】

ヒューマノーム研究所と生体データ計測・解析を専門とするベンチャー企業5社による共同研究プロジェクト「湯野浜ヒューマノームラボ」の連載企画。いよいよ始動したデータ計測は、参加者にとってどのようなものだったのだろうか。前回に引き続き、プロジェクトの舞台・湯野浜の人たちへのインタビューをまじえながら、ヒューマノーム研究のめざす先を展望する。

「見える」ことで高まる自分への関心

年が変わって2019年1月24日、この日はプロジェクトの計測最終日。説明会の日と同様に旅館「亀や」に参加者が集まり、採血、血圧の測定、聴診などを実施し、すべてのデータ計測が完了する。期間中、全員が最後までデータを記録し続けることができたのだが、実際のところ参加者はどのように感じていたのだろうか。

今後幅広くデータを取得していく上で、記録する側の負担感は考慮すべきポイントのひとつとなるが、参加した25名にアンケートを実施したところ、日常生活に支障があったという人は数名にとどまり、毎日記録する手間はかかったものの、ほとんどの人がいつも通り生活できたと回答している。

計測期間中の生活についても、7割以上の人が「データを計測することで生活習慣に変化があった」と回答、さらに「計測したデータを自分で見て、生活の参考にした」という人も6割を超えていた。生活の変化としては食生活や運動への気遣いが挙げられ、摂取カロリーや塩分量、血圧の測定値などを参考にしていた人が多かった。実際に参加者に声をかけると、みな少し興奮気味に、そしてうれしそうに体験談を話してくれた。

「すっごい大変でした!日々の生活がいっぱいいっぱいだから。普通と違う生活習慣なので、朝食が11時、昼食が17時、夜が深夜。食べたらすぐに出勤だし、(昼食にあたる)夕ご飯は仕事の合間なので、しんどかったです。食事の記録は大変だったけれど、アプリではアドバイスが出てくるので、途中から楽しくなってきました」(50代女性)

「睡眠のデータが面白かったです。寝る時間があまりにも遅いけれど、意外にちゃんと深い眠りがとれていました。早寝早起きとはならなかったのが残念です。経営者として、がんとか三大疾病、そういうのにならないためにどうすればいいか、なりやすい要素はどういうものか、今後そういったことが知りたいです。それを知った上で、対策を打つことができればいいですね」(40代男性)

「つい仕事に振り回されて自分の食事など何にも考えていなかったけど、写真を撮ることになり、料理とまではいかないですが意識が変わりました。菓子パンばかり食べていたけれど、最近は食べていないです。これまでほとんど米を炊いて食べることをしていなかったのですが、期間中は何回か炊きました。ウェアラブル端末は欲しいと思いました。具合が悪い時は心拍数を見て『ちょっと落ち着こう』と、自分で考えることができました」(50代女性)

参加者は、腕に装着して活動量を測るウェアラブル端末や血圧計に加えて、食事や睡眠のデータもスマートフォンのアプリを用いて自分で確認することができる。こうしたアンケート結果や感想からは、「自分」の健康データが「見える」ようになったことで、参加した多くの人が自分自身に関心を抱き、より健康であるために何が必要か、自ら考えて生活するように変化していったことがうかがえる。

自分自身を「発見」する毎日

説明会を行ったとはいえ、決して計測がスムーズに進んだわけではない。計測データをモニタリングする中、「うまく睡眠のデータが取れていない」「計測デバイスとアプリの同期がされていないようだ」といった小さなトラブルは起こり、そのつど該当の参加者へ連絡を取って解決しなければならなかった。そこで参加者との橋渡し役を担ってくれたのが、奥山雄一さん(写真)だ。奥山さんは湯野浜100年株式会社のメンバーの一人で、計測が始まる前のデバイスのテストや参加者募集をはじめ、計測期間中のトラブルシューティングにも奔走した。

「何か問題があると私に連絡が来ました。やっぱり気持ち悪いんでしょうね、いつもやっていることができないというのが。それに毎日結果が出るじゃないですか。食事や睡眠はアプリで点数が出るので、朝起きた時の体調や気分と結果がリンクしたりすると『やっぱりそうなんだ』と。そういうのがデータとして見えるので、ただ漠然と調子良い・悪いと思っていたのが、ビジュアルとして分かるということでけっこう気分も乗ってくるんじゃないですかね。

それに血圧もこれまで毎日調べていた人は少なかったみたいで、『朝と夜の血圧がこんなにちがう』というような話をしてくる人もいました。『朝起きるとき気をつけろよ。朝ぐっと起きると血圧が上がって倒れたりするから、ゆっくり起きた方がいいよ』って子どもから言われたとか。みんなで見て分かるので、家庭内でもそういう話になったりするみたいですよ」

奥山さんや参加者の体験談からは、自分が体や心で感じていることと、目に見えるデータを照らし合わせながら、自分自身の中で起こっていることを「発見」していくような毎日が想像された。その小さな発見の積み重ねが、平均化された誰かではない「自分」をかたちづくっていくのではないだろうか。

湯野浜ならではのライフスタイルがあっていい

計測に参加した動機を聞くと「湯野浜のために役立てるなら」と答える人も少なくなかった。一人ひとりの健康が「湯野浜」という場所にどんな未来を創っていくのだろうか。奥山さんと同じく湯野浜100年株式会社のメンバーで株式会社亀や代表取締役の阿部公和(写真)さんは、生まれ育った湯野浜についてこう語る。

「集客力、労働力不足という地域の課題に対して、ぶれずにやっていこうと湯野浜100年株式会社があって、そこに地域の個性を生かした社会実験を試みる経済産業省のリビング・ラボの取り組みがあり、100年先も変わらない価値として海、白浜、温泉を軸にやってきました。ここに加わったヒューマノーム解析で現状が紐解かれていけば、湯野浜で働く人の食事や運動プログラム開発などへの展開も考えていけるのではないかと考えています。

僕が生まれたころは、街の人たちがうちの旅館で働いてくれていて、みんな近所に住んでいました。それがいつの頃からか、遠くから働きに来る人の方が多くなってきて、それは決して悪いことではないのですが、昔働いていた人たちも、今でも訪ねて来てくれるし、街で元気に過ごしているんです。ならば、地域の人たちがここに住んで、ここで働いて過ごせたらもっといいのにと思っています。

現状、地方は疲弊していて今のままなら東京で働いた方がいいし、短期的に見て街が急速に若返るということはありません。だからこそ、70歳を過ぎても元気に働いてるような姿を若い人に見せてやりたいって思っているんです。それに今言われている地方創生や働き方改革は、都会の人の都会の感覚で、画一的と感じることもあります。

たとえば湯野浜なら、閑散期の冬は休んで、夏は毎日働く。そして休み時間には海で泳いで、その土地でとれたものを食べて、仕事が終わったら温泉に入って元気。そういう生活と仕事が一体化したライフスタイルがあってもいい。ひとつの価値基準におさめるのではなく、その地域ならではの価値を認めて生かしていけたらいいと思っています

平均化された「誰か」ではなく「他の誰でもない自分」の健康をデザインしようとするヒューマノーム研究と、画一的な価値観にとらわれずその土地に根ざしたライフスタイルの構築をめざす湯野浜の人たちの試み。「湯野浜ヒューマノームラボ」は、個々人の健康データの解析とコミュニティの課題解決を掛け合わせるかたちで実現した。このプロジェクトの今後について、ヒューマノーム研究所の井上浄はこう展望している。

「まず湯野浜の人たちの本気でやっていこうという熱い思いが根底にあって、その思いに動かされてプロジェクトは始まりました。今回はヴィンテージソサエティの構築というコンセプトのもと、その実現に必要なデータがいくつか抽出されれば、と考えて対象年齢などをしぼって計測を実施しました。一緒に『湯野浜100年』を実現するんです。この計測したデータをうまくどこまで統合できるかなというのがこれからの勝負ですね。これが日本初、世界初の試みなので、湯野浜で何かしらの仮説が立てば、次は、違う地域、自治体でやれるかもしれないし、社員が数千人いるような大きな企業を対象にやっていきたいとも考えています」

こうして計測を無事に終え、研究の礎となっていく貴重なデータを得ることができた。ここからプロジェクトはデータ解析のフェーズへと移っていく。次回からはプロジェクトに参加するベンチャー企業にスポットを当て、各専門分野のスペシャリストたちが見つめる世界をのぞいていきたい。

<つづく>

(文・写真:天野尚子)