湯野浜ヒューマノームラボ 第6回:聴診器に羽が生えたなら ー 技術革新で人とつながり、心に触れる

ヒューマノーム研究所と生体データ計測・解析を専門とするベンチャー企業5社による共同研究プロジェクト「湯野浜ヒューマノームラボ」の連載企画。第4回から5回にわたり、プロジェクトの旗振り役としてベンチャー集結を呼びかけたヒューマノーム研究所の井上浄を聞き手に、スペシャリストたちの見つめる世界を共有しながら、ヒューマノーム研究によって拓かれるその先の可能性について探っていく。

聴診器を思いっきり進化させよう


これまでのインタビューでは、睡眠や運動、食事といった私たちの日常が、テクノロジーの発達によってデータとして積み重なり、その相互作用が明らかにされれば、一人ひとりの生き方に寄り添った健康をデザインできるのではないか、という未来のイメージが描かれた。

こうした技術革新は、AIによる画像診断やIoTデバイスによる健康管理、オンライン診療など、医療現場にも大きな変化をもたらしている。今回は、聴診や血液検査など特定健診に関わるデータを担当したAMI株式会社の代表取締役を務める小川晋平さんに話を聞いた。

AMIが研究開発している「超聴診器(=自動診断アシスト機能付遠隔医療対応聴診器)」は、心電、心音を解析して可視化し、疾患の兆候を自動診断する電子聴診器で、自分で胸に当て診断もできる。従来よりも素早く精度の高い診断が可能となり、心疾患の早期発見にもつながるという。さらに自治体と協同して、超聴診器とビデオチャットシステムを組み合わせた遠隔医療サービス「クラウド健進」を開始し、健康診断受診率の向上など予防医療の普及を目指している。

井上
小川さんは循環器内科医でもあって、医師として病院で働いていて、どういういきさつで会社を立ち上げることになったのですか。

小川
大学を出て医者になって、大学病院や急性期病院などで働いていて、それから30代に入り大学院で勉強したいと思いました。もともと研究よりも臨床が志望だったので、2025年には遠隔医療とかICTがもっと普及するだろうから、その時に向けて医療経済を勉強することにしました。

井上
2025年に遠隔医療がスタートするというのは、その当時、厚生労働省などから何か方針が出ていたんですか。

小川
いいえ、それは私の中だけの方針で。いわゆる「2025年問題」を見越して、遠隔医療にもゴーサインが出る時代が来ると思ったので、10年かけて自分は勉強しようとしていたら、まさかの2015年に、厚労省から「情報通信機器を用いた診療(いわゆる「遠隔診療」)について」という事務連絡が出ました。
* 団塊の世代が75歳以上になる2025年以降、高齢者の人口割合の増加により医療・介護の需要が高まり、社会保障費が増大すると見込まれている。

井上
じゃあ、もうそれが出たから会社にしちゃおうと。

小川
そうですね。予想の10年も早く遠隔医療業界が動き出したので、会社も同じ年にスタートしました。それと、2013年に大動脈弁狭窄症がカテーテルで治療できるようになったという出来事がありました。胸を開けずにできるということがけっこう衝撃的で、しかも翌日にはもう集中治療室を出られる。けれど、まだ潜在的に患者さんはたくさんいて、そういう人たちを適切な治療に結び付けたい、と。そういう想いはありました。

小川 晋平 Shinpei Ogawa
AMI株式会社 代表取締役/循環器内科医

熊本大学医学部卒。日本医師会認定産業医、日本内科学会内科認定医。2015年11月 AMI株式会社設立。社名のAMIは「Acute Medical Innovation=急激な医療革新を実現する」を意味する。医療機器開発では、KDDI∞ラボ、第1回ヘルスケアベンチャーノット、第1回メドテックグランプリ各賞で最優秀賞受賞、第5回ヘルスケア産業づくり貢献大賞で大賞受賞。平成29、30年度と2年連続でNEDO-STSに採択。

井上
なるほど。その潜在的な患者さんを見つける手立てとして、聴診器に着目したわけですね。

小川
もちろん、エコーやカテーテルの検査はありますが、それらを行う前に、症状がないうちに見つけるのが聴診器ということです。でも、聴診器を当てなくなっている時代が来ていて。

井上
それは、エコーで得られる情報の方が多いというような理由からですか。

小川
たしかにエコーの方が情報量が多い。そしてカテーテルの方がもっと多いんですね。けれど、乗り物にたとえると、東京と九州なら飛行機を使いますが、近くのコンビニに行くなら自転車がいいじゃないですか。しかも免許もいらない。みんなをエコーするというのは、技術もいるし、免許も必要だし、時間もかかる。たしかに良い検査だけど、もっと簡易な聴診があって、それを進化させればいいのではないかと思ったんです。それこそ自転車に羽を生やして空を飛べるようにして、スピードを上げれば…。

井上
十分見られるんじゃないかって。

小川
はい。そういうものを作ればいいんじゃないかと。聴診器って、歴史上最初に登場した時からほとんど変わっていないんです。なので、聴診器を思いっきり車に近づけるくらい進化させれば、免許もいらないし、簡便さもあって、十分価値があるんじゃないかということで、自動聴診器を作り始めました。けれど、自分には何の技術もないし、お金もない。

井上
一人で会社をつくったんですもんね。聴診器を作り始めたとき、遠隔医療のことは念頭にあったんですか。

小川
立ち上げた時は、遠隔医療はもちろん見据えていたんですが、当時は、自動診断ができる電子聴診器を作って、遠隔に飛ばせばいいだけだと思っていたんですね。でも実はその先に続きがあって、飛ばすと音が壊れるので、飛ばすだけではダメだということがわかったんですけど。当時はただ、「すごい聴診器を作って、自動診断をする。それは10年後には遠隔医療に使われる」ということを描いていました。

井上
それで、自分の作った聴診器が全国、全世界で使われているようなイメージを持って、日々100円ショップで買ってきたグッズを使って工作をしていたんですね。

小川
そう、20年ぶりにはんだごてを持って、当直室でずっと。ただ、自分では作れなかったんですよ、結果的に。

井上
その後、実際に研究している研究者と組んで、仲間も増えていって、今の「超聴診器」へとつながったんですね。

テクノロジーと心をつなげるサービス

井上
さっきの乗り物のたとえなら、むしろ歩いていなければ見えない景色ってあるじゃないですか。とすると、聴診器を使うことでしか見えない景色というものが存在するのかな。聴診している時、耳で聞こえるものだけでなく、表情や肌の色をお医者さんが直接見ているということが、情報量としては実は多かったりするのかなと思ったんですよね。患者さんからしても、お医者さんが直接聞いてくれているという安心感みたいなものもある。

小川
そこはすごく悩むところで、「超聴診器」は「自分で当てて診断する」というコンセプトなので、ある意味対立した2つです。2016年の熊本地震が起きた時、私はドクターカーに乗って、夜中までずっと避難所をまわっていました。すると、腰が痛いとか眠れないとか、症状はさまざまなんですけど、「聴診してください」という人が非常に多くて、聴診器で聴診をするんです。別にそこで心疾患を見つけて欲しいんじゃなくて、もしかしたらコミュニケーションの意味合いもあるのではないかと。「あなたの体の中の音を聞いています」という、信頼関係といったものもあるのかもしれないなと感じて。聴診器って、そういう付加価値というか、ただ音を聞いて診断している以外のものがあるんだなという気持ちも湧いて、非常にそこは揺れているところですね。

井上
テクノロジーが進化する一方、コミュニケーションによる気持ちの部分の重要性も見直されていて、双方が融合するようになれば、すごくいいですよね。

小川
それに近いものはかたちになってきていて、それが、今進めている「超聴診器」を使った遠隔医療サービスです。遠隔でただ見て話すだけで終わり、というのが今の遠隔医療なんですが、そこに聴診を加えて、自分の心臓の音が、相手にも自分にも、聞こえるし、見えるようにしています。その上で、「大丈夫ですね」など、いろいろな言葉を交わすことは、遠隔だけれど、自分の体の中の音をこの人は聞いているし見ていると、実感として思える。これが、今のところ一番近いかたちなんじゃないかと私は思います。

専門を深掘りしたら、チームの時代へ

井上
ヒューマノーム研究への参加の思いを聞かせてください。最初のきっかけとしては、僕が「採血やってる?」と聞いたら、自分のプロジェクトの中でもうやっている、というやりとりがあったことを覚えています。

小川
そうですね。近況を聞かれて、心音を見える化して解析していることや、自己採血を使って健康に関わるプロジェクトをやっているという話をしたところ、そこから話が盛り上がって、「採血なら指先でできますよ」と。ちょうど私自身も特定健診と同じ項目を遠隔でやるというプロジェクトが動き出したタイミングだったので、その後、具体的に一緒にやる話になりましたね。

井上
実は湯野浜では、リビング・ラボの一環で温泉の効能の研究もしていて、今回計測などでお世話になった旅館「亀や」の一室を診療所として登録しています。そこではお医者さんが来て採血することが可能だったので、チームの中にお医者さんがいたら、と思っていました。それに、ヒューマノーム研究はベンチャーが成長するためにつくりたかった場所でもあるんです。熊本で遠隔医療をやっているAMIとこのプロジェクトで組むことで、会社が少し前に進むようなことがあればいいなと考えていて、何か一緒にできないかと接点を探していたんです。

小川
将来的にエピゲノムが見られたり、睡眠や腸内細菌との関連もわかるかもしれないということは、わくわくしました。病院ではそういう横のつながりはまだ確立していないので、自分たちが関われない、わからない部分です。そんな中できることは、音の見える化や指先の採血など、今まで自分が知っている世界を少し拡張することだけだったので、まったく知らない世界と一緒にできるというのは、ありがたいことです。

井上
お医者さんの世界もそうだし、ほかのベンチャーもそうだけど、絶対どこかとコラボレーションしたらいいですよね。全部丸ごと解析できる技術も出てきて、一緒にやれば何か結果が出るとなったら、おそらく全員がいいよねって言うと思うんです。

小川
たしかに医療の現場でも、最近の流れはチーム医療です。これまでは専門領域が深掘りされてきましたが、横のつながりが今、重要視されています。でも、それはまだ病院内に限られていることがほとんどで、それを病院の外へともっと広げて融合していったら、面白いことが起こるのは間違いない。「深く掘ったんで、あとは横とつながりましょう」という時がたぶん来ているのではないでしょうか。今回の湯野浜での計測は、パイロットスタディという位置付けですよね。

井上
そうです。湯野浜では、「湯野浜100年株式会社」というのを地元の方々が立ち上げていて、100歳になった時にも元気に暮らしているヴィンテージな社会にしようというコンセプトで本気で取り組んでいます。それならヴィンテージ候補生として、60代、40代という年齢層を対象にデータを取ってみたら、予測ができるんじゃないかと。その予測をもとに、いろんなサービスを今度はつくっていけるんじゃないかっていう、そういうイメージですよね。

小川
25人という人数も、よかったのかなと思っていて。「今回はまず25人をやります。そこで見えてきたものをしっかり報告します」というデザインですよね。25人である程度の方向性をまずは出して、それだけでも十分価値はあるけれど、次のステップに行きやすくなりますよね。最初から何百人を対象にしようとすると、これまでやったことがないわけだから、きっと何年計画という規模になって、動こうにも動けなくてしまったのではないかと思います。

井上
今回やってみてわかりましたが、すごい大変。しかもデータを提供していただいた参加者の皆様にかかる負担もかなりあると感じました。もっと密にベンチャーが連携して、より簡便にすることができるかもしれない。同時に、横につながることでさらに深く掘り下げられる可能性が見えてきた。これをどう実行していくかが今後のカギになると思います。各々の研究、そして統合解析はさらに深まっていくんじゃないかと期待しています。

 

眠ること、食べること、心臓が動いているということ。私たちの体でたしかに起こっているけれど、主観的だったり、数字などで表すことができずにあやふやだったりしたことを、客観的に可視化・定量化しようと、それぞれの分野のプロフェッショナルが挑んでいる。次回は、そうした試みを「細胞」の世界で行っている株式会社Rhelixaにスポットを当て、遺伝子の働きをコントロールするエピゲノムを読み解くことでどんなことが見えてくるのか、話を聞く。

<つづく>
(文・写真:天野尚子)