湯野浜ヒューマノームラボ第9回:流れていく日常の中に「自分」を見つける ー 統合解析でつくる自分自身のストーリー

2019年3月、山形県鶴岡市・湯野浜。
この日行われた計測参加者への報告会では、一人ひとりにレポートが手渡され、睡眠や腸内細菌などそれぞれの計測・解析を担当したベンチャー各社から結果の見方や全体の傾向などの説明が行われた。

「そのレポートはとても重要で、これまでの自分の一部と思っていただいてもいいくらいのものです。これをもとにみなさんがさらに自分自身の健康に興味を持っていただいて、よりよい湯野浜、よりよい世界にしていきたいと思っています」

報告会の最後、ヒューマノーム研究所の井上浄がそう結んだように、「その人」をかたちづくる一つ一つの結果が、このレポートには記されている。そして、この結果をもとにいよいよ「横串に刺す」統合解析がスタートする。

私たちの体に起こっていることが、さまざまな側面からつぶさに明らかにされ、それらが相互作用するネットワークが構築されていく。しかし、点と点はいったいどのように結ばれ、編み上げられていくのだろうか。

ここまで旗振り役となってプロジェクトを牽引してきた井上と、統合解析を担うヒューマノーム研究所の代表取締役社長・瀬々潤が、ヒューマノーム研究の現在地を確かめ、その先の未来を展望する。

統合解析はストーリーをつくること

井上
今まさにベンチャー各社が集まって、どういうふうに解析していくのが一番いいのかという話を始めているところです。一番初めの仮説は人間が考えなければいけなくて、あるどこかの相関を見るといっても、その相関の仮説を立てなくてはいけない。「横串に刺す」というとき、その仮説を一つ一つ出していくというのがまずやっていくことではないかと思いますが、それが難しいですね。

瀬々
統合解析というと難しく感じるかもしれないですが、たとえば私たちは「一歩、歩こう」と思った時、足だけ動かしても歩くことはできなくて、手も、重心も、全部が動くわけですよね。でも、テクノロジーって、足の動きだけ、手の動きだけ、重心だけ、一つ一つを観測しています。

井上
体の動きにたとえてイメージするとわかりやすいですね。

瀬々 
それら一つ一つは精度よく計測できるようになりました。その精度向上は素晴らしいことなのですが、それだけで歩くことができるのかというと、たぶん無理なんです。重心だけ動いても前のめりになってしまうし、足を動かしただけでは前に進まない。

井上
重心が動かなかったら、後ろに倒れちゃいますしね。

瀬々
それをすべてやろうとなった時、渾然一体とならないと人って動かないですよね。だから、それらを合わせる必要がある、というのが、統合解析の重要なところだと思います。食べ物が変わったら睡眠も変わるし、腸内細菌も変わるというふうに、全部連動しているはずなので、連動して初めて、そこで人間一人が動くということがわかる。でも、一つ一つを全部記述するのはおそらく無理なので、物事を統合して、記述できるところまでなるべく進んでいきましょう、というのが今できることなのかなと。

瀬々 潤 Jun Sese
株式会社ヒューマノーム研究所 代表取締役社長

東京大学大学院新領域創成科学研究科 博士(科学)。東京医科歯科大学・特任教授、産業技術総合研究所・人工知能研究センター・招聘研究員を兼任。機械学習・数理統計の手法開発および生命科学の大規模データ解析を専門とする。米国計算機学会のデータマイニングコンテストKDD Cup 2001優勝、Oxford Journals-JSBi Prize 受賞。

井上
統合解析をしていく順番としては、まず、二つの組み合わせが大事ですが、「歩く」といった時に、どこをどうつなげていくか。その仮説はどう立てていくのが一番いいのか今、考えていて。限定された期間に多くのデータが取れているという状況で、それらにどう横串を刺していくか。それは時系列の変化なのか、それとも一つ一つのデータ、たとえば食事と腸内細菌が対応したところで、睡眠を加えていくというかたちでやっていくのか、具体的なイメージが湧くといいなと思っています。

瀬々
統合解析はストーリーづくりだと思うんです。たとえば人生100年時代に、その人が100年生きた時、幸せになるためには何がわかったらいいのか、ということを見つけたい。

井上
それは湯野浜でいうなら、ヴィンテージ・ソサエティをつくろうということに向けて、“プレ”ヴィンテージな人たちの解析を行ったわけだから、ヴィンテージな年齢を迎えた時に、どういう姿でありたいか、ということが最終目標であって、それを目指すためにはどんな解析が必要なのかということですよね。

瀬々
すべてのデータを取ることは無理だし、テクノロジーにも限界がある。なので、今できることをやってみて、将来ヴィンテージ・ソサエティを実現しようとするなら、どのデータがあればいいのか考えましょうというところですね。

井上
そのヴィンテージな自分の姿として、たとえば、美味しいものがしっかり食べることができて健康で、孫たちが遊びに来た時に海に連れて行ってあげられる、というような姿を想像したとします。それならば、まずはしっかり食べ物のことは理解しましょう、そして、外をしっかり歩ける、簡単なスポーツができる状態の体をつくりましょう、と提案できるわけですよね。

「健康」という不確実な像があって、それをどう解像度を上げていくかということもとても重要だと思いますが、まずはひとつ、未来をつくるために現状の体を知るといった目標設定でいいのですかね。

瀬々
そうですね。それにはいくつか側面があって、その個人にフォーカスして、自分がどういう状態を健康だと感じるのかということを一日一日積み重ねていくことが、将来の健康となりますよね。けれど一人ひとりのライフスタイルが存在しているので、それは人によって違います。それぞれ違う幸せがあって、その違う幸せに対して、テクノロジーを使ってどうアプローチできるか、ということが私たちのやることなんですよね。

井上
自分の思い描くストーリーがあれば話はシンプルですが、人によってはストーリーをつくってほしいという人もいるんじゃないかなと思うんですよ。

瀬々
それはあると思いますよね。

井上
そのストーリーづくりが、もし今のデータからできるとすれば、それは、いわゆる僕らの考えるヒューマノーム解析から出すことのできる未来像のひとつではないかと思います。

瀬々
それは両方だと思うんです。データからストーリーをつくるということと、ストーリーからデータを眺めるという、その両方がぐるぐる回って初めて、データ解析と社会とが連関すると思っています。湯野浜が起点になってスタートして、たとえば「日本全国1万人ヒューマノームプロジェクト」といったようなことが実現できたときに初めて、世の中でそのストーリーが回り始めると思うので、その第一歩目だと思うんです。

25のストーリーが描かれ、動き出す

井上
今回でいえば、湯野浜の25人のそれぞれのストーリー、つまり仮説ですよね。25人のこういう未来があったらいいという仮説が出てくる中で、一人ひとりの目指しているところに対してどうしたらいかという方向性で解析をしていく。

瀬々
湯野浜にはヴィンテージ・ソサエティをつくるという目標があるので、それに向かってどうすればいいかという解析がこれから走っていく。

井上
25の仮説が走るということですよね。

瀬々
はい、そうですね。

井上
湯野浜の方々からは、こうありたいという未来像について聞くことができています。その目標に対して、どういう解析がベターか、ベストかということを探っていかなければいけないですね。たとえば血圧の高い方が「血圧を下げたい」という場合だったら、4週間の食事と睡眠の状況や腸内細菌の情報、特定健診のデータなどがあって、そこから相関が取れて、仮説はたくさん立てられます。それらを一つ一つ見ていくと、その人にとって重要な因子が明らかになるかもしれない。

瀬々
それが人によって運動かもしれないし、お酒かもしれないし、わからないわけですよね。

井上
それを積み重ねていくと、未来像みたいなものが見えてくる。

瀬々
天気予報を活用して行動を変えるように、自分の明日の予測ができるようになる。ただ、天気は、私たちは変えられないものだと思っているけれど、「健康予報」に関しては、個々に違う健康情報が存在していて、自分で変えられるというのが大きな違いですよね。

井上
たとえば途中で気付きがあって、自分で仮説検証ができるってことですよね。あなたは血圧が高い状況です、じゃあこの食事を減らしてみましょう、そうしたらどうなりましたか、という過程がさらに蓄積されていくと、その未来像に近づいていく。

25人分というセットはまだまだ少ないかもしれないけれど、この4週間のデータの中に、振り返って見たときに、その人にとって重要な関連し合う因子がたくさん眠っているかもしれない。風のように流れ去っていく日常をデータで記録することができて、横串が刺せるセットがここに残っている。これって、僕にとってはヒューマノームの原点なんです。

瀬々
未来が予測できたらそれに合わせて活動を変えていくことができる。このサイクルが湯野浜の25人だけではなく世界中の人に広がれば、また違う世界が見えてきます。日々健康が観察されていて、今晩ラーメンを食べたいから昼食は少し控えようとか、ジムに行こうとか、そういう、「美味しい一杯」を食べるために頑張るという人がいてもかまわない。

一人ひとりの人生がどういうふうにあるべきかという多様性とともに、健康の多様性もあるべきだと思うんですよね。そのためには解析の多様性ももちろんあって。データ解析というと画一的な、統計的な、全体の中でどこに位置するかという偏差値のようになってしまうことは多いんですが、そうではなく、「自分の未来って何?」ということを考えるきっかけとなる解析というのがたぶん、この「湯野浜ヒューマノームラボ」であり、統合解析であるということだと思うんですよね。

魂のこもった数字で、魂の掛け算を

井上
報告会で参加者の方々にお返ししたレポートは、それぞれのデバイスなどで取れることからの結果にとどまっていますが、さらにこれが統合解析されることで、それぞれとの関係性を見ることができます。ここから出てきた仮説というのは、いつかまた湯野浜で仮説検証するようなかたちとして還元できるような基盤をつくることができたということなんですよね。

瀬々
データはただの数字でしかないので、ここからみなさんに向けて、いかにフィードバックをして、次の仮説へとつなげていけるか。それがノーベル賞級の発見になるかもしれないし、あるいはみなさんの幸せにつながるかもしれない。いろんなタイプのゴールがあると思うのですが、こればっかりは計測してみないことにはわからない、あるいは解析してみないことにはわからないので、まず、やってみるということですね。

井上
統合解析をするとき、どういうセッティングで始めたらいいのか、どのような相関を取ってくるといいのか、瀬々さんはこれまでの経験からたくさんのノウハウを持っていて、この解析によって初めて見えてくることに僕はとても期待しています。この4週間の日常のデータから、どう仮説を立てていくか。それを今、一つ一つやっているという状況ですね。

瀬々
そう、地道なんです。統合解析とか、計算機の解析とか、機械学習、人工知能とか、なんだかデータを与えたら天才が勝手に計算して、最良の結果を返してくれるように受け取られますが、データ解析は地道な話であって、データ解析っていうのは、とにかく一つ一つ、魂のこもった数字で、魂の掛け算をできるように、順番に見ていくしかない。

井上
それは解析を始める時に、最もやらなければいけないことですね。瀬々さんはじめ、ヒューマノーム研究所の研究員が一つ一つの仮説を立てて。

瀬々
本当かなこれ?っていうのを。

井上
ベンチャー各社のスペシャリストたちと一緒にやっていく、という段階であるわけですね。

瀬々
こればっかりは、王道があるわけではないんです。

井上
ヒューマノーム解析という、何か入れ物みたいなものがあって、そこにデータをポンって送ったら、バンって出てくるっていうことじゃないんですよね。すごく大変で、人間が汗をかいて頑張っている。ここから少しずつでも何か相関が出てきて、それをその個人に返していくということを、ちゃんとできるような仕組みをつくっていきたいですね。

瀬々
みなさんがもう一度データを取ろうと思う仕組みをつくる。仮説検証できるという状態をつくっていく。これが必要なことですね。

 

データの中に潜んでいる仮説を一つ一つ見つけ出し、「その人」自身のストーリーを描くヒューマノーム解析。それは、今そこに生きる人のありようを、データによって生き生きと表現していこうとする試みだった。

そのデータを受け取った「その人」もまた、風のように流れ去っていった日常の中に「自分」を再発見し、自分自身の未来を自らの手でつくっていくことができるかもしれない。この可能性を手掛かりに、次回最終回では、「人間とは何か」という問いに挑むヒューマノーム研究が、どう人や社会とつながり、どんな未来を拓こうとしているのか、「これから」を探っていく。

<つづく>
(文・写真:天野尚子)