湯野浜ヒューマノームラボ最終回:私たちが未来に手渡せるもの ー 健康が保証された世界の向こう側には…

ヒューマノーム研究所と、多様な専門分野にわたるヘルスケアデータの研究を進めるベンチャー企業との共同研究プロジェクト「湯野浜ヒューマノームラボ」の連載企画。ここまで、プロジェクトに関わる研究者、企業、そして計測に参加した湯野浜に暮らす人たち、その一人ひとりが持つ思いに触れ、それぞれのまなざしの先にあるものを照らしてきた。

そして、得られたデータから仮説を立て、「その人」自身のストーリーを描くヒューマノーム解析がいよいよ始まった。それは、流れていく日常の中に「自分」を再発見し、自分自身の未来を自らの手でつくっていける世界をめざして進んでいく。

人間とは何かーこの問いに挑むヒューマノーム研究が、どのように人や社会とつながり、どんな未来を拓こうとしているのか。前回に引き続き、ヒューマノーム研究所の瀬々潤と井上浄が、それぞれの抱く思いとともに、「これから」を見据える。

流れていく日常の解像度を上げる

井上
もともとその人が積み重ねてきたストーリーがあり、今回計測したさまざまな種類のデータも蓄積されました。そこから仮説を一つ一つ立てて統合解析する、つまり「その人」というものにいよいよフォーカスしていくところまで来ました。

瀬々
これらを解析して、みなさんにどういうフィードバックができるかですね。湯野浜でやったことはスタートでしかなくて、これは全然ゴールじゃないですよね。

井上
もちろんです。今回のデータセットからは、その人にとって「そりゃそうだよね」っていう結果もたくさん出てきそうな気はするんですが。

瀬々 
今、解析が進んでいますが、ほとんど「そりゃそうだよね」というものです。

井上
そりゃそうですよね(笑)

瀬々
けれど、それが重要なんです。「そりゃそうだよね」っていうのは、今までみんなが経験で知っているから、そう言えるのであって、人間の生態について何も知識がない宇宙人がやってきてそのデータを見たら、ああ、そんな相関があるんだってきっと思いますよね。つまり、自分たちの経験上知っていることが、データから出てきている、これは、今回の湯野浜で行われた計測が正しいという証拠なんです。

井上
裏付けでもあるということですよね。風のように流れ去っていく日常のデータのセットがしっかりと残っていて、そこで「そりゃそうだよね」が証明されているというバックグランドのもと、新しい知見も出てくる可能性があるってことですよね。たとえば、その人にとっては「そりゃそうだよね」が、他の人から見たら、まるで宇宙人が初めてその事実を知るようなこともある。

それに、お酒を飲んだ次の日は調子があまり良くないっていうのも、データを見ても明らかで、「そりゃそうだよね」となります。けれど、その不調に関わるさまざまな因子が解像度よく見えてくれば、その上でその人が行動を変えたり、対策をしたりするという方向に目線をシフトできますよね。そういうマインドの変化を促す可能性もあると思います。

未来に手渡すことができるもの

瀬々
個人の情報がわかるということだけでなく、他人をいかにインストールをするか、他人のデータをいかに自分に持ってくるかということも、今後考えることができるようになりますよね。たとえば毎日お酒を飲んでいる人の経過だけを見ていても、毎日よく眠れていませんという結果があるだけなんです。

井上
それは、それだけ飲んでいたら「そりゃそうだよね」となるだけですね。

瀬々
けれど、そういう自分に似ているけれどお酒を飲まない人がいたとしたらどうか。お酒を控えるとあなたもこれだけ睡眠の質が改善するかもしれません、と提案できますよね。個人の感覚だけで捉えられていたものが、テクノロジーで定量化されて、他人の行動を自分にも置き換えられたら、もしかしたらもっといい状態で生活ができるかもしれない。

井上
蓄積されるデータが25からどんどん増えていけば、同じような人が出てきて、その人のデータを自分にインストールすることもできる。だから今、流れ去っていく日常のデータがきっちり4週間あるという強みを生かして、自分で仮説検証できる状況をつくることができているということですよね。

瀬々
同じような人というなら、自分に一番近い存在は、自分の子か自分の親ですね。今回のようなヒューマノーム解析は、若者から計測すべきで年を取ったら計測する必要がないなどと言われることがあるんですが、そうではなくて、年を取った人のデータの方が実は価値があります。それまでの年齢に至る蓄積があったところに積み重なる、最後の何十年分かのデータが取れるということなので、それは将来の子どもさんなり、世界の全体に対して、一番重要なデータになり得るんですよ。

井上
親は子の半分の未来を持っていて、それは、半分の自分が同時進行で30年ぐらい先を走っているということですよね。それをトレースできる。自分で蓄積してきたデータを必ず次世代につないでいくということができたら、半分とは言わないまでも自分に近しい情報を持って生まれてくることになります。そして、その子が20歳になったら渡す。

瀬々
そういう「ヒューマノームブック」みたいなものになっていたらいいですよね。

井上
そう、「半分、あなただから」と言って、それを渡すことができる。こういう生活をしていたらこうなるかもよ、ということをデータで見られるような。しかも、健康が維持されている状態、病気になる前の状態の日常のデータが取れている。今、研究などで統合解析が中心に行われているのは医療分野で、もちろんそれはとても重要なことなんですけれど、やっぱりその一歩先に、予防という観点もあるし、自分の描く未来像に向かって蓄積できたっていうのは本当に大きな一歩です。

瀬々
超高齢化社会、人生100年時代を日本が迎えようとしていて、これからどんどん高齢者が増えていくわけですが、今の医療や社会保障を維持していくという意味でも、病院に行く前や病院の外で、いかに計測をするかというのが重要なところなんですよね。日々自分の状態を計測するということが、日本の社会を支えることにつながっていくと思っています。

湯野浜での計測を終えて

井上
今回の計測では、腕時計タイプのデバイスを24時間装着してもらって、日常の活動量のデータを取っていましたが、着けて生活することで自分の行動が変わったという人が多かったですね。

瀬々
計測後もそのデバイスをはずしたくないという声もありましたね。

井上
日常の時間は各個人の中だけですべて流れてしまっていて、そこには本当は重要な自分の生態ストーリーっていうものがあったんだけど、それと向き合う機会がなかった。けれど、実際にデータとして見せてくれるこのデバイスが、自分のことを客観的に教えてくれる役割を果たしていたということですよね。

瀬々
かかりつけのお医者さんのようなメンターとなる存在が手元にあるということですよね。そうすると、ここに毎日メンターをしてくれている人がいる。そこにサジェスチョン、または介入することで、どんどん行動が変わっていって健康がつくられていくのは、まさにわれわれが描いている姿なわけですよね。

井上
湯野浜の方々とはまた話をしたいなと思っています。「今、どうですか?」ということもすごく重要で、これから統合解析していく中で、睡眠なり、血圧なり、これから改善したいと思っていること、やろうとしていることを教えてもらえたら、そこから多くの仮説を出すことができます。

話をしていて感じたのが、病気になるのが不安だから着けていたいわけじゃないということです。見ていること、自分を知ることが楽しいということなんですね。自分の健康状態や生活習慣にあらためて気づくところから、さらに自分から楽しんで改善するという方向に動いているっていうのが、すごくいいなと思いました。計測の後、デバイスを自分で買っている人はいるんじゃないかと思うんですよ。

瀬々
家族からプレゼントされたという方もいましたね。

井上
それに、家族から喜ばれたっていう話もありましたね。お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんの状態を見ることができたっていうのは大きいことだったみたいです。ある方に聞くと、お酒を控えたらとか、少し食べすぎじゃないとか、家族が気にして見てくれているらしくて。その話をされている時、すごく嬉しそうでした。もちろん自分で判断するということもあるけれど、家族や大切な人に対して自分を開示するということも、自分の未来像を考えた時にとても重要なことのひとつだと感じました。

瀬々
新しい家族のつながりがそこに見えると、「湯野浜ヒューマノームラボ」が新しい価値を提供できたんじゃないかなと思います。計測したデータが、新たな家族の一員となって、生きている感じがするんです。

井上
家族の中でも個人の情報っていうのはどんどん流れて、時とともに消えていってしまう。昨日のことは覚えているけど、1週間前の行動なんて思い出せないですよね。だから、それが記録として4週間残っている状況をつくるというのは、やっぱり画期的なことだったんじゃないかと思います。僕は、湯野浜の方々がどのくらいあのレポートを見直してくれているか気になっているんです。何かあった時にもう一度戻って見ることができるような状態っていうのはすごく重要ではないかと思っています。

テクノロジーは何のためにあるのか

瀬々
テクノロジーが何のためにあるのかといったら、計測したり、解析したりすることが目的ではないですよね。それは誰かのためのものであって、それを使ってみんなが幸せになるということが必要で、その仕組みをどういうふうにつくっていくかというところまでたどり着かないといけない。

井上
それがまさにヒューマノーム研究なんですよね。だから解析するというのは、あくまで手法であって、つくりたいのはみんなが健康に幸せに暮らせる世界。このビジョンを社会に提示していくときには、今ある技術ではどこまで解析できて、目指す未来像のためには何ができるかを提案できる、ということが一番重要なポイントになると思います。

瀬々
さまざまなリアルテックがどんどん出てきている中でヒューマノーム研究のやろうとしていることは、テクノロジーによって人や世界が計測できるという状態が今ここにあって、それが人の幸せやその人の行動を変えるということにつながるにはどういうことをすればいいのか考えたいということです。それにはテクノロジーでどういう掛け算ができるのかということを調べる必要があって、それをわれわれは統合解析と呼んでいるわけですよね。

井上
魂の掛け算ですね。テクノロジーそのものを売りたいわけではなくて、人とテクノロジーがどう寄り添って、調和していけるかということをやっていきたい。これまでやってきたことを社会実装しようと会社を立ち上げたベンチャーのメンバーも同じなのではないかと思います。深掘りしてきたことを、悩みを抱えている人や、目の前の大切な人にどうつなげられるのかというところに、多くの葛藤や試行錯誤がある。だからこそ、サービスを持って、テクノロジーを人に届かせようとしているんですよね。データだけでは、健康にはならないんですよ。未来をつくっていくのは人じゃないですか。

 

人間とは何かーその問いに挑み、読み解き、向かう先に見据えているのは、他の誰でもない「自分」のストーリーを、自ら描くことのできる世界だ。そうしてテクノロジーと今そこに生きる人とが寄り添いつながる未来にはきっと、健康が保証された世界があるのだろう。

ヒューマノーム研究によって積み重ね、統合解析された人間をかたちづくるデータ、そこに描かれる私たちのそれぞれのストーリーは、健康が保証された世界の向こう側にいる、次の時代を生きる一人ひとりの「自分」へと手渡されていく。

<おわり>
(文・写真:天野尚子)