湯野浜ヒューマノームラボ 第7回:細胞をパカっと開けて見えるもの ー 変化するエピゲノムから人の健康を探る

ヒューマノーム研究所と生体データ計測・解析を専門とするベンチャー企業5社による共同研究プロジェクト「湯野浜ヒューマノームラボ」の連載企画。第4回から5回にわたり、プロジェクトの旗振り役としてベンチャー集結を呼びかけたヒューマノーム研究所の井上浄を聞き手に、スペシャリストたちの見つめる世界を共有しながら、ヒューマノーム研究によって拓かれるその先の可能性について探っていく。

細胞レベルで健康を管理する

私たちの体はたくさんの細胞からできていて、眠ること、食べること、胸に手を当てて感じる鼓動も、すべて細胞一つひとつがその役割を果たしている。その細胞の中にある遺伝子は、DNAの塩基配列の情報であり生物の基本設計図といえる。人の体質や目の色、性別などはこの不変の設計図によって決められているが、同じ設計図であっても生活環境や時間の経過など外的な要因によって違いが生じる。これは設計図をどう機能させるかは後天的影響によって日常的に変化するからであり、こうした遺伝子の働きをコントロールしている因子がエピゲノムである。

エピゲノムを扱うエピジェネティクスはがん治療や再生医療への応用など近年注目を集めている研究分野である。細胞レベルのメカニズムをエピゲノムから解明することによって、病気の発症や薬剤の適性を予測するための指標をつくることが可能となり、医療・ヘルスケアの領域での活用も期待されている。エピゲノムの解析技術を持つ株式会社Rhelixa(レリクサ)では、実験デザイン、解析データの解釈や論文化のサポートなど幅広いコンサルティングを行い、大学や企業の研究開発を支援している。

私たちがふだん見たり感じたりすることのできない細胞。その細胞の中で起こっていることを読み解くとはどういうことなのか。同社代表取締役の仲木竜さんに話を聞いた。

井上
今回の湯野浜のプロジェクトではエピゲノム解析までは踏み込んでいませんが、日々の活動量といった日常のデータを担当してもらいました。ここでは、会社の事業やご自身の研究分野について、そしてそれがどのようにヒューマノーム研究への興味につながっていったのか、聞かせてください。

仲木
日本のアカデミアでは、特に基礎研究において、自分の研究対象以外に興味を向けない方が多いといえます。しかしながら、実際には、そのやり方を貫きながら安定して研究を続けられる人はそう多くない。それは基礎研究という性質上の問題だけではなく、多くは視野の問題だと考えています。基礎研究でも、人の生活に貢献できる要素は何かしらある。その視点を持って社会とのつながりを持っていけば、基礎研究でもさまざまなかたちで支援を受けられる。

それをヒントに、僕は基礎研究とビジネスの両輪で相乗的な価値を生み出す新たな研究者を目指すことにしました。大学内でもそのスタイルを確立することは可能だったかもしれませんが、実現の速度を考えた時、大学の外から実現することがベストであると考えました。そのような背景があり、2015年2月、博士課程3年生の時に会社を立ち上げました。

仲木 竜 Ryo Nakaki

株式会社Rhelixa 代表取締役

東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。計算生物学者。次世代シーケンサーより得られた大規模ゲノム・エピゲノムデータの専用解析アルゴリズムの開発・応用を専門とする。2015年2月に株式会社Rhelixaを設立。

井上
その仲木さんの専門分野というのが、エピゲノムなんですが。難しいですよね、一言で説明しようとすると。

仲木
そう、難しいんです。私たちの細胞は、生まれた時から親から受け継いだ遺伝情報を持っています。それがだんだん分裂して、いろんな体の細胞になっていくんですが、たとえば一卵性双生児がそうであるように、もともとの設計図は同じでも、生活環境などによって出てくるものが違うんですよ。遺伝情報は歳をとっても変わらないけれど、老いたり、病気になったりする。「こういうふうに体を作らないといけないよ」っていう設計図と、あとで出てくるものが違うという「間」の部分があるんですね。それはいろいろな分子の関わりによって成立しているので、そういうものを読み取る、「細胞探偵」みたいな仕事をしているんですけど。

井上
つまり、どういうふうな制御によってそれが起こっているのか、その仕組みを突き止めるということですね。

仲木
はい。細胞探偵的な仕事って、いろいろなところに応用ができているんですね。人の医療や、それこそ植物でもできるし、生物であればなんでも応用できます。でも最近は、どんどん研究費も削減されてきていて、お金をかけて研究できる分野はかなり限られてきています。

井上
医療でいうと、がんなど命に関わるもの、致死性も高いというものに注力されていますね。

仲木
そうですね。ただ、多くの人は必ずしも命に関わる病気に直面しているわけではないですよね。ヘルスケアのレベルでも、クオリティ・オブ・ライフを下げる症状によって悩んでいる方は大勢いる。肌が弱くてカミソリ負けしてしまう、というような本当に身近なことや、眠れないというのもそうですし、いろいろあると思います。そういう実際に人間の状態として起こることっていうのは、突き詰めてみると、細胞が今どういう状態にあるのか、というところに結局は帰着する部分がある。なので、エピゲノムについての研究が、ヘルスケアをはじめ、さまざまな分野に適用できるとは思っていたので、自分の手掛けている研究をそのまま社会に実装していきたいということも会社を立ち上げたモチベーションの一つです。

井上
立ち上げ当初、対象とする分野はヘルスケアを考えていたんですか。

仲木
もともと立ち上げた時、まずは薄毛の課題に手をつけようと考えました。薄毛は後天的な影響と相まって起こるのですが、命に関わるわけではないけれども、困っている人は多いという悩みの一つだと思います。この人に今、そうなるかもしれないトリガーが引かれたとか、この人にはこういう薬の効果がありそうだとか、エピゲノムを読み解くことで最適化していければいいなっていう思いはありました。

井上
エピゲノムって、実は研究ですごく注目されているんだけど、解析は難しくて、出てくるデータも膨大で、たとえば僕が、免疫細胞のエピゲノムの変化を見たいって言って、データが返ってきても見方と解釈が非常に難しい。そういう場合に、どういう実験系を組んで、どういうデータを揃えて、どういうところに注目したらいいのか寄り添ってくれるのがRhelixaという会社で。研究者の仕事を加速させるために、エピゲノムを紐解きながら、研究の新しい側面やアプローチ方法を見えるようにすることを、事業にして、かつ自分がやりたい研究を進めようみたいなかたちですね。

細胞をパカっと開けて見る

仲木
我々は、細胞で何が起こっているのか、細胞が外部からの影響や加齢などでどういうふうに変化していくのかということを読み解くプロなんですね。ただ、何かイベントが起きている中で、その仕組みを捉えることはできるんですけど、結果として何が生まれてくるのか、何が原因でそういうことになっているのか、っていうのは、正直詰め切れないことがあります。

ただ、たとえばがん細胞で何が起こっているかだったり、病気における細胞の状態を見るというようなスタートがあれば、ある程度、これとつながっているんだっていうことがわかるんです。そういう意味では病気の仕組みはシンプルで、何かインプットがあって、それによって悪性化が起こる、というのがわかる。細胞をパカっと開けて見て、何がそれとつながっているのか探し出せばいいだけなので、わかりやすいんです。

井上
けれど健康という面から見ると、何が健康という状態かっていうのが、まずはっきりしていないし、何が原因で、何が起こるかっていう、ちゃんとした因果関係が全部わかっているわけじゃないですよね。

仲木
そうなんです。自分たちが健康を細胞レベルで管理しようと思ったとしても、パカっと開けた瞬間は、たしかに違いは見えるけれども、なんで違っているのか、その違いが何に結びついているのかっていうのが、わからないんですね。探偵という話をしましたが、いきなり家に入っても、家族構成がわかるくらいで、その人たちがなぜそこにいるに至ったかは、いろんな情報を組み合わせないとわからない。そして、アウトプットとして何が起きているのかっていうのも、因果関係を解き明かさないとわからない。どういうイベントでも、再現性のあるものだと確かめられれば、細胞レベルで因果関係があることを確信できるはずだと思っているのですけれど。

井上
細胞レベルで起きていることは非常によくわかるが、それがどのように日常生活とか健康に関わってくるか、そこが難しいということですね。それがヒューマノーム研究への興味につながったと。

仲木
それこそ睡眠や心音も、まさにそういう部分ではあると思うんです。たとえば、我々の注力領域の一つとして、循環器や血管のエピゲノムを扱っているんですが、高血圧というものも、本当にいろんな原因があるといわれています。細胞があれば研究はできるんですが、何に目を着ければいいか、何がどうイベントにつながってそうなっているか、っていうのが、自分たちの範疇では、現状以上には深堀りできないことがあります。

井上
やっぱりそういう情報も必要となると、いろんな人たちのコラボレーションの中で満たしていかないといけないですね。

仲木
なので、エピゲノムとほかの指標を合わせて見ることができる機会っていうのは、僕たちとしてはすごく興味があって、それはずっとやりたいよねって言っていたので、このプロジェクトには非常に興味を持ちました。

生まれ変わらなくても、変えられることがある

井上
ヒューマノーム研究が動き出した頃、バイオインフォマティクスやデータ解析が得意なら、エピゲノム以外も合わせて一緒に解析したいよねっていう話を一緒にしていましたね。

仲木
体質にはもともと生まれながらにして決まっているという部分もたくさんあるので、ゲノムは欠かせないです。でも、眠れなくなるとか、腸内細菌叢が変わるとか、いろんな身体的な変化があるというのは、結局ゲノムだけ見ていてもわからないことも多くて、それをつなぐものが必要だから、エピゲノムを見なきゃいけないよね、と言っていただいて。

井上
すぐ明日にどうこうなるわけではないんだけど、エピゲノムであれば「変えられる」っていう、ポジティブな面を持っているじゃない。だから、ゲノムを見ていく前に、エピゲノムだなと思ったんです。

仲木
たしかにゲノムを変えるためには生まれ変わるしかないですが、食事など生活習慣の改善や対症療法などによって、エピゲノムは変えることができるので、自分で人生を変えていける余地を残しているものだとは言えますね。

井上
ゲノム、エピゲノムもそうですが、普段の生活の中で意識することができないものですよね。眠ったり、食べたり、運動したり、胸に手を当てれば心臓が動いているということも、私たちは感じることができますが、自分の細胞で何が起こっているかを見たり、感じたりすることはできない。そういった点で、今回プロジェクトに参加したベンチャーの中では、違う視点で人間を捉えているのかなと思ったのですが。

仲木
それはおそらく、現象レベルの方から見ているのか、それとも原因レベルの方から見ているのかっていう違いがあって。我々は、細胞レベルで起こっていることやその原因など比較的根本に近いところから見ているのではないでしょうか。

井上
その一方で、睡眠や血圧、心音などは、現象に近いところからそれを見ている。

仲木
こちらからあちらを予測しきることはできないし、あちらからこちらを予測しきることはできない。そういうブラックボックス的になっているところがどうしてもお互いの技術にはあって、それはそうなんだと思うんですよね。お互いに同じ対象について見てみて、ここがこうオーバーラップして、そこに一本道筋が立つ、というところは、少なくとも僕たちは今まで実現できていませんでした。現象サイドとオーバーラップできるっていうのが、本当に今回が初めてのところがありましたね。

井上
2015年に、一方でお医者さんがはんだごてを持って聴診器を作り始め、もう一方では基礎研究で人の生活に貢献しようと一人で一生懸命頑張っていたっていう状況があって、3年後にはこういうチームを作って共同研究ができています。湯野浜でデータを取ること以外に、その思いはそれぞれにいっぱいある。僕の、僕自身のデータが積み重なっていくと、やっぱり最後には、うっすらでも僕の姿が見えてくるんじゃないかなっていうのを、本当に期待しています。だって、やるって決めた人たちが走り出したわけですから。


それぞれのスペシャリストの知識、経験、技術が結びつき、私たちの体に起こっていることをあらゆる側面からアプローチすることによって、人間の輪郭が次第に浮かび上がっていく。けれど私たちは当然ながら、人間以外の存在と互いに影響を与え合いながら生きていて、「人間とは何か」に迫るためには、その存在を無視することはできない。次回は、腸内細菌の遺伝子と代謝物質を統合解析し個々人に合わせた腸内デザインの研究開発を行う株式会社メタジェンにスポットを当て、私たちのお腹の中にいる微生物が、人間とどのような相互作用を起こしているのか、話を聞く。

<つづく>
(文・写真:天野尚子)

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