湯野浜ヒューマノームラボ第8回:お腹の中の「彼ら」だけが知っていること ー 私たちと共に生きる腸内細菌

ヒューマノーム研究所と生体データ計測・解析を専門とするベンチャー企業5社による共同研究プロジェクト「湯野浜ヒューマノームラボ」の連載企画。第4回から5回にわたり、プロジェクトの旗振り役としてベンチャー集結を呼びかけたヒューマノーム研究所の井上浄を聞き手に、スペシャリストたちの見つめる世界を共有しながら、ヒューマノーム研究によって拓かれるその先の可能性について探っていく。

腸内環境から「健康」を定義し直す

それぞれのスペシャリストの知識、経験、技術が結びつき、私たちの体に起こっていることをあらゆる側面からアプローチすることによって、人間の輪郭が次第に浮かび上がっていく。けれど私たちは当然ながら、人間以外の存在と互いに影響を与え合いながら生きている。

人間とは何か-その問いに迫るためには、その存在を無視することはできない。私たちのお腹の中にも人間ではない存在、およそ40兆個の腸内細菌がすみ、その集まりは腸内細菌叢あるいは腸内フローラと呼ばれている。そして、人間の健康維持や病気の発症には、この腸内細菌叢のバランスが大きな影響を与えているということが近年の研究でわかってきたという。

お腹の中にいる微生物が、いったい人間とどのように相互作用しているのか。腸内細菌叢の遺伝子と代謝物質を統合解析し、個々人の腸内環境タイプに合わせた層別化医療・ヘルスケア「腸内デザイン」の社会実装を目指す株式会社メタジェン代表取締役社長CEOの福田真嗣さんに、話を聞いた。

井上
これまで参加するベンチャー各社にインタビューを行ってきて、必ず話題になっていたのが腸内細菌との関連です。人間というものにフォーカスしながら、人間ではないこの微生物の存在のことがみなさん気になっています。

福田
腸内細菌の研究は、日本では1960年ごろから培養法と呼ばれる寒天の上にコロニーを作らせて腸内細菌を生き物として調べる学問からスタートしました。ただ培養法では腸内細菌全部を培養することができなかったため、その重要性はなんとなくわかってはいたものの、その全容はわからなかったんですね。

井上
それが、2000年代になり遺伝子の解析技術の発達によって、腸内細菌の遺伝子も調べることができるようになった。

福田
はい。そうすると、その菌が培養できなくても、お腹の中にいれば必ず菌の遺伝子は検出できるので、その菌がいたという証拠になるんですね。つまり腸内細菌が遺伝子レベルでその存在が「見える」ようになったことで、健康な人と病気の人との腸内環境の違いや、病気との関連も見えてきました。

井上
可能性が大きく広がったんですね。それが、便移植という新たな治療法にもつながっていった。

福田
まだ臨床試験段階ですが、便移植は、健康な人の便中の細菌叢を患者さんの腸内に大腸内視鏡を使って入れるという手法です。たとえば国内でその患者数が増加の一途をたどっている潰瘍性大腸炎は、指定難病で原因不明ですが、腸内細菌叢のバランスの乱れがその発症や増悪に関与しているだろうと考えられています。その潰瘍性大腸炎の患者さんに対して便移植を行ったら、その症状が良くなるケースが出てきたんですね。

そういう事例からも、便中に含まれる腸内細菌自体の可能性を、ものすごく感じています。まずは腸内細菌叢のバランスをコントロールできれば、潰瘍性大腸炎だけでなく、大腸がんや糖尿病、動脈硬化などを予防、あるいは治療までできるかもしれない。さらに、花粉症やアトピーなど免疫系が関係する病気も、腸内細菌と関係していることもわかってきました。

井上
炎症は免疫細胞が外敵をやっつけたり外へ追い出したりするために、ある意味しっかり働くことで起こりますよね。潰瘍性大腸炎も炎症性疾患の一つですが、この場合は大腸において過剰な炎症が起こっている可能性があるといわれています。このことからも免疫と炎症と、腸内細菌の関係というのが非常に重要だということがわかります。

福田
でも遺伝子やその機能がわかっている腸内細菌というのはまだ一部で、お腹の中にいる腸内細菌の中には、部分的な遺伝子配列しかわからず、ましてやその機能などは全くわかっていない菌もたくさんいるので、今はそのデータベースを拡充しているところです。

福田 真嗣 Shinji Fukuda
株式会社メタジェン 代表取締役社長CEO

2006年、明治大学大学院農学研究科博士課程修了。博士(農学)。理化学研究所基礎科学特別研究員などを経て、2012年より慶應義塾大学先端生命科学研究所特任准教授。2019年より同特任教授。2013年文部科学大臣表彰若手科学者賞受賞。2015年文部科学省科学技術・学術政策研究所「科学技術への顕著な貢献2015」に選定。同年、ビジネスプラン「便から生み出す健康社会」でバイオサイエンスグランプリにて最優秀賞を受賞し、株式会社メタジェンを設立。専門は腸内環境制御学、統合オミクス科学。

井上
このまま進めば、将来的には、腸内細菌の全貌がわかる時代がやってくるはずで、今、最先端の科学者たちがみんな研究をしていてそれを明らかにしつつあると。

福田
はい。そこで得られた基礎研究成果を社会実装する。つまり、みなさんの健康や、あるいは疾患の予防、治療。腸内環境を適切に制御することでここに役立てたいというのが私たちの想いです。「最先端科学で病気ゼロを実現する」がわれわれの理念です。

井上
そもそも自分のお腹の中にどんな菌がいるのか知らないですし、ヨーグルトやサプリメントなど健康を意識していろんなものを食べている方は多いと思いますが、それが実際にその人に対して効果を発揮しているかどうか、わからないケースも多いと思います。

福田
これまでの研究でわかってきたのは、そもそもみなさんの腸内環境のタイプは人によって異なるということです。なので、みなさんの腸内環境を調べて、このタイプの人にはこれがいいですよ、って言えたらベストですよね。

井上
そのために、企業、医療機関、それぞれにアプローチした事業を展開していますね。

福田
まずB to Bで企業を対象として、「腸内デザイン応援プロジェクト」というコンソーシアムをつくりました。これはたとえば、参画企業と臨床研究などを実施しています。どんな腸内環境の人がその商品を食べたら効果があるのか、というデータを取っていて、機械学習などの解析結果から、こういう腸内環境タイプの人にはこの商品が効果ありそうだっていうのが見えてきます。このデータベースを活用して、腸内環境に基づく新しいマーケティングとか、その先はB to Cとして個人を対象に、みなさんの腸内環境を評価・層別化して、適切な腸内環境改善情報を提案する事業を展開する予定にしています。

井上
たとえば僕の腸内環境のタイプがわかったら、このヨーグルトが合いますよっていうのを教えてもらえる世界が今後訪れるんですね。

福田
ヨーグルトやサプリメントなどもそうですが、薬の効き目の予測などにも応用していければと考えています。現状だと残念ながら薬を使ってみた結果、効かなかった、残念でした、というケースが当たり前だと思うのですが、果たしてそれは本当に当たり前でしょうか。もしかすると、薬を使う前に腸内環境を調べたら、その薬が自分に効果があるかどうか事前にわかるかもしれない。近年の研究で、癌のブロックバスターとして注目されている抗PD-1抗体の効き目が、腸内環境のタイプに依存することが報告されています。すなわち、薬の効き目を腸内環境から定義することができれば、患者さんのクオリティ・オブ・ライフの向上につながりますし、結果として医療費削減にもつながると考えています。

あんかけ焼きそばを食べたかったのは「誰」?

福田
私たち人間の学名をホモ・サピエンスといいますが、人間は同属同種で、そのゲノムは99.9%同じでほとんど違いがありません。

井上
だから僕らには正常値といわれるものがあるわけですよね。

福田
だけど、腸管内って実は、体の外側なんですよ。ちくわやストローの内側と一緒で、口から肛門までは全部外環境と接する体の外側なんです。なので、この部分は人間じゃない。だから人間はその外側の多様性を許すんです。人によって違っていてもいいんですよ、外側だから。腸内環境のタイプっていうのは、人間のゲノムより圧倒的に違いが大きいんです。

腸内にはたくさんの菌が詰まっていて、だけどここは体の外側で、なおかつ私たちが食べたものがここにやってきて、腸内細菌がさらに分解したものが、再び体に供給される。人間と人間じゃないところの間には、無数の菌がいるんですよ。

井上
さらに腸だけじゃなくて体表にもいて、ここも表面、外側ですね。人間は菌でコーティングされているので。

福田
腸管内は体外なので、そこに住む腸内細菌叢のバランスは、体内よりはコントロールしやすいと考えています。ただ、ある意味僕は、こっちが本体だと思っています。

井上
腸内細菌叢が人間の本体である、と。

福田
そう考えるにはいろいろな理由があるのですが、たとえば腸からのシグナルが脳に伝わることがわかっています。脳腸相関といって、脳と腸は神経でつながっていますし、ホルモンでもやりとりをしています。また、腸内細菌叢が脳機能に影響することは、少なくとも動物実験ではわかっています。

井上
腸内細菌が影響を及ぼすのは、菌がつくった代謝物質が神経に作用するというケースもあって、実際にマウスで精神行動に変化が出るっていうのは、お腹に菌がいるマウスといないマウスで明らかな差があると証明されていますね。

福田
人間が食べたもののうちの未消化物を腸内細菌がさらに腸内で食べています。その結果、「彼ら」はさまざまなものを腸内で吐き出します。それが代謝物質と呼ばれるもので、こういうものの一部が腸から吸収されて、全身の血中をぐるぐる回るんですね。だから腸内細菌は、腸自体のコンディションだけじゃなくて、からだ全体の健康維持や病気の発症にすごく大きな影響を与えるわけです。「彼ら」の栄養素は人間が食べたものがほとんどなんですよ。だから腸内環境のタイプっていうのは、実はその人の長期的な食習慣に非常に密接に関わっている。

井上
湯野浜のプロジェクトでも食事のアンケートを取っていますね。食べたものと、出ていくもの、この両方をちゃんと調べることによって、どういうものを食べたら、どんな腸内細菌がいるお腹の中で、どんなものがつくられて、それがどう人間側に供給されるか、ということを知ることができる。

福田
人間側のことだけじゃなくて、腸内にすむ微生物のことも合わせて統合的に考えるというのが、「人間とは何か」に迫るためにはとても大事なアプローチだと考えています。例えば食の好みを考えると、一体これは誰が決めているのか。自分で決めているつもりかもしれませんが、腸内細菌の餌は私たちが食べたものということを考えると、もしかすると食の好みは腸内細菌が決めているのかもしれません。

井上
つまり僕がお昼にあんかけ焼そばを食べたのは、もしかしたら「僕」じゃなくて、「彼ら」が欲していたのかもしれないってことですね。

福田
そういうふうに捉えてもらえるとうれしいですね。少なくとも食事は人間の栄養だけでなく、腸内細菌の栄養にもなります。人間のもっとも良い腸内フローラの状態って何ですかってよく聞かれるんですが、それは人によって違う、というのが答えです。なぜならば、私たちが生きる環境は人によって違うからです。逆に言うと、ずっと同じような環境で同じ様なライフスタイルを送っていたら、腸内環境が似てくるはずなんです。その多くは食べ物で決まるわけですし、さらに同じような生活をして、同じようにストレスを受けていたら、同じような腸内環境になっていくと思います。外環境に依存しているので、変えようと思ったら変えることができるのが腸内環境なんです。

人間とは何か? それは・・・

福田
最先端の研究で徐々に見えてきた腸内細菌から、これまで治療方法が十分でなかったところにもアプローチできるようになりました。ただし当然、先天的な疾患は腸内細菌では治らないので、遺伝子側、人間側も、きちんと理解して制御するという技術は絶対に必要です。だから、ヒューマノームという場所は、いろいろなことを統合的に理解して制御することで、みんなが健康になりましょう、人とは何かということを理解しましょう、という取り組みだと認識しています。

井上
アカデミアでは疾患ベースの研究はすでに行われているかと思いますが、僕は、健康体の人に対して日常を調べていくっていうのがすごく重要なんだろうなと思っていて。普通の人を普通に計測するっていう。

福田
通常の状態をモニタリングするということですよね。ヒューマノームという、この建て付けの中でわれわれは腸内環境を分析する技術はあるので、たとえば睡眠やエピゲノムという別の情報と腸内環境情報が紐づいたときに、何か新しいものが見えるんじゃないかと。結局データって、そのデータだけでは十分にその価値を活かしきれていなくて、ほかのメタデータとつながることでその価値が倍増するんですよね。そういうことを期待して、われわれはこのプロジェクトに参加しました。

井上
人間をかたちづくるものは、人間のデータだけじゃないということがわかってきて、ここから発展するともっと環境とか、観測範囲は広がっていくと思いますが、でもまずは「人」を解析しようと。僕らと切っても切り離せない、食う、寝る、働く、ここに関して微生物は全部関与しているかもしれない。そうやって人間を解析して、福田さん曰く、腸内細菌が本体だというのであれば、じゃあ、そこのところを決着つけましょう、ということですね。そして、「人間とは何か? ―腸内細菌です」と。

福田
イコール、いや、ニアリーイコールなのかな。ただ本当のところはどうなのかということを知りたい。それが「わかる」っていうことですよね。だからおそらくみんな一緒だと思います。知りたいことややりたいことがあって、その上で「人間とは何か」、イコールこういうことだよね、ああ、そういうことだよね、が、「わかる」かもしれないということですよね、この取り組みで。

井上
その、ああだよね、こうだよねの仮説が一つひとつ検証されて、そしてまた新たな疑問が湧いてくる。「人間とは何か」に向けて知識と技術と好奇心を集結させて解明していく、このこと自体がまた人間を進化させる。そんなふうにも感じます。

 

私たちの体に起こっていることが、さまざまな側面からつぶさに明らかにされ、それらが相互作用するネットワークが構築されていく。しかし、点と点はいったいどのように結ばれ、編み上げられていくのだろうか。次回は、計測・解析されたそれぞれのデータを「横串に刺す」統合解析へと視点を移し、ヒューマノーム研究の現在地を確かめ、目指す未来を展望する。

<つづく>
(文・写真:天野尚子)